緒方泰州の推命論   例えば  悪神論等について


 私は、推命学はただ単に、故人・先人の理論を継承するだけでは、推命学は衰亡劣化の一途を辿り学問性の無い、蒙昧な推命学になるだけであると考え、独自の理論を構築し、泰山流の範囲を乗り越えて、劉誠意の完成した本来の推命学を再構築する事に努め、さらに旧来の推命学の弊害を取り除いて、全く新しい独自の推命学を構築して参りました。

 
 お陰で、私が過去に沢山の先輩たちに学んだ推命学を棄却し、一般の現行の推命学とは全く違った、所謂、窮通寶鑑の調候用神法とは違った独自の用神取用法を構築し、緒方泰州独自の推命学を完成する事が出来ました。

 
 私の教室にても、月令を悪神とし、月令の悪い影響を緩和する物を用神として、命式自体の歪みを中和する事の出来る、星の選定と力量の把握によって、命式の用神の必要量を考え、幸せに成る為の努力の方法や努力の量を、計測する方法を、用神取用法論として教授してきましたが、これは泰州の推命論の表側の一部の理論であり、泰州の推命論の半分以下にしか過ぎません。

 
 もしも、用神取用法を完全に習得して、更なる鑑定法の習得を目指し、様々な学習意識を持って独自な発想を目指すならば、更なる鑑定力の向上が望めます。


 
 緒方泰州の種々保有する推命学理論のほんの一端ですが、例えば、悪神論に触れてみたいと思います。

 
 悪神論は、用神論と同等の同量の理論と体系を有しており、更に接近論と言って悪神がどの様な速度で、どの様な甘言を用いて近寄って来るかを、具体的に知る理論が有り、更には力量論によってその結果、どの様な被害程度を及ぼすか等を、判断する理論体系の基本なのです。
 
 命式に用神が完備していても、悪神が命式中に有れば、用神が完全に作用している期間は、悪神は大人しいのですが、用神の微妙な力量の変化に伴って、悪神は変化する力を持っており、普通に考えて用神の働きを邪魔する働きとは、また別の作用を保持し温存して、悪神として目覚める時期を静かに待ち、時至れば必ず作用を起す能力が有るのです。

 本人がどの様な誘いを受けるのかと言う、意識を以って防がなければ、必ず凶の作用を起こさんと狙っています。
 
 
 命式が同様の型式で出来て居て、命式中の用神の存在数も同様で有っても、悪神が命式中に有れば、運勢はそれぞれの悪神独自な影響を受けると考えねば成りません。

 
 命式中に悪神が存在すれば、悪神の存在する形状や力量は、用神の形状や力量が同一でも、別の作用の仕方をするのですから、用神が同一の命式でも、鑑定は自然に別々の鑑定を着けねばなりません。

 
 接近論とは、悪神や仇星や喜神等がどの様な姿、どの様な話し方で近寄って来るのか等の理論を、接近論と言います。

 用神は、元来無愛想な物ですが、忌神・悪神は愛想が良く、しつこく魅力的な姿で、繰り返し近寄って来るものなのです。

 

 また、閑神論は、閑神を普通の鑑定家は判断の材料とは考えていない様ですが、普段は静かで大人しい通変星の作用しかしない星の事ですが、命式の力量の変化に伴って、通変星の姿を捨てて、強烈な悪神に変化する事を知り、その変化を捉える理論です。

 用神論を完全に習得していれば、独力にても様々な悪神論周辺の理論の会得が可能かと思われます。

 
 泰州の推命理論にては、用神と調候用神と喜神と禁忌の星とは、全く別個の働きをする物と認識し、判断の仕方にも合理性と独自性を持って居ます。

 
 喜神が、特定の条件下では悪神以上の強烈な作用を起こす、喜神論に付いても、何れ何時か機会が有りましたならば、お話しょうと思います。