雑感の1

 最近感じた事ですが、以下の様な経験をさせられ、憂鬱な思いをしております。

 最近感じた事ですが、運勢は却って10代までが余り良い運でなく、後に吉運の来る人の方が、人は努力をせねばならないと自覚が出来、却って幸せに成る可能性が有るのではないかと感じます。
 勿論、年少より運が悪くそのうえ努力もしないで、自分にも他人にも甘え通す人もありますが、この様な人の話は論外です。

 

 最近いやな話が幾つかあり、推命を続ける事に嫌悪を感じています。

 40歳にほど近い男性の話です。
 

 その男性は、幼少から鳴かず飛ばずの運勢で、中学・高校もそれほど良くも悪くも無く、私立の大学を出ている人でした。

 原命式は、運勢が悪く、官星悪神これは働きに行けば苛められやすい意味で、傷官悪神これは仕事辞めると次の仕事に付き難く、変なプライドを持たせる星の意味で、更に身弱、これは甘えて出来る限り努力しないで済ませる、または、価値のない努力を続けて裏切られる意味。
 

 更に、通根の無い、これは一度、何かを中断させると再起をしたく無く成る星で、この様な生年月日の人でした。
 それ故に、この人は結婚の件と、職業の件が悪く大変な運に入っているのですが、今、どの様にして居られますかと尋ねたところ、会社で嫌な事が有って長年家に引き籠っているとの返事です。
 

 如何すれば良いかとのお尋ねですから、自分でやる気を起こす事、ご両親の内の父親か母親のどちらかが、この方と一緒に行動し、職業に繋がる資格を取得し、一緒に仕事をする覚悟が必要と申し上げたところ、そんな事は出来ないと言われるので、このままでは、すぐに来る40歳まで今のまま何もしないで居ると、ご両親の運勢が無く成れば、生きていけなくなりますと、申し上げました。

 この答が気に食わないと言う事で、恨んでおられるそうです。

 人は、そんなに良い運勢の続く人は稀で、この世は一種の修行の場で、何らかの苦労を生まれる前から、持ってくるものです。

 人は、それぞれ個々の義務を果たすことや、人の災難を少しでも減らす事に協力する事によって、苦労や災難から逃れ解除される物で、逃げて歩いたり、他人に転嫁して楽に成る事は出来ません。
  


 更に、人生は日々の積み重ねより出来て居るもので、楽しい事ばかり追求していて、災いから逃れる小さな努力を避けてきたことによって、小さな災難を蓄積するのであって、突然に不運が起こって来た物では有りません。
 無事の運の時には、自分の楽しみのみを追求し、生まれたときから負わねばならない、将来の災難に備えることをせず、今の今、苦しいから、何の努力をしないでも、掌を返したように良くなる様にしろ、出来ないのか、出来ないのならば、そんな推命など価値が無いと言うような、事を思う人たちが多く居られ、それを他人の責任の様に思われ、推命学を非難されることに、非常に不快感を持ちます。

 一旦は運勢を踏み外しながらも、幸せに成る為の方法を指示させて頂き、それを本人が努力して、生きがいを感じられる、人生の本道に回帰される方も沢山有るのですが、その人たちは、苦しくとも私の指示に従い、楽をして本来の脱線する前の軌道に復帰した訳では有りません。
 人生を脱線したならば、元の本線に復帰するには、脱線してから現在に至るまでの時間か、それ以上の時間を必要とします。

 人生は、踏み外したと思った時には、早ければ早い程、修復に努力が少なくて済みます。
しかし、運の悪い時は良い考えが浮かばず、ゆっくり考えていると更に深みに填まる事に成ります。
 失敗をすれば、拘りを捨てて素早く回復の道を探るべきです。
 


 ところが、私が提案する事はすべて拒否し、自分の間違いから起こった事には責任を持たず、自分は努力せず、良い運の時には将来に備えず、捨てねばならないプライドや、幸せに成る為の自分自身への投資を嫌って、甘い言葉のみを囁いて呉れる人の言葉を信じて、誠心誠意の鑑定に恨み言を以て、応える人ばかりが多く、益々、推命学を教える事も、鑑定する事にも、人間の醜い一面を見る思いをし、推命学を教えねばならない自身に、嫌悪感を増大させてしまいます。